銅鐸の文様

 銅鐸には絵画を描いたものがいくつもあります。シカ、イノシシ、水鳥(サギかツル)、カメ、トカゲ、トンボ、クモ、カマキリなどの動物、狩りをする人、魚を取る人、脱穀する人、舟に乗る人、争う人などの人物そして米倉とみられる高床建物などの原始的な絵画が描かれています。


これらの絵画が何を表現しているのか明らかではありませんが、農耕をたたえる内容と読み取るのが最も合理的な解釈のようです。銅鐸の文様や絵画は基本的には弥生式土器のそれに共通していて、弥生社会のだれもがそれを理解できたと思われます。これは、銅鐸を墓に副葬していない事実とともに、それが特定の個人に所属したものではなく、社会の人々の共有の祭器であったことを物語っているといえます。 銅鐸は丘陵の斜面などに穴を掘り、そこに横たえて埋めた状況で見いだされます。一個のみ理納する場合が多いのですが複数のこともあり、剣型祭器や戈型祭器(かがたさいき)とともに埋納した例もあります。銅鐸がなぜ理納されたかも大きな謎ですが、社会の変革や危機に際しで埋め隠したとか、領域の境界に埋めて悪霊や敵対者の侵入を防いだとか多くの解釈があります。また、日頃は聖域に理納(まいのう)しておいて、祭りの時にのみ取り出して使ったのではないかというのも一つの説です。いずれにせよ、新しい政治勢力の出現、支配階級の台頭に伴って人工の丘の墓、すなわち古墳を築造する社会になると、人々の共同の祭りや共有の祭器は不要となり、これらの祭器は破壊されたか、あるいは埋められたのではないかと思われるのです

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