耳原遺跡
今から約2300〜2500年前の縄文時代の終わりの頃の集落で、茨木市内では今のところ最も古い遺跡です。
まだ作物を作ったり、あまり多くの道具を持っていない人々は、自分たちが生活するのに便利な高い所や食料となる魚がとれる川の近くに住んでいました。
耳原遺跡遺構
深鉢棺(ふかばちかん)
出土した深鉢は、土器の表面に煤(すす)が付いていることから、はじめは煮炊きする容器として使われていたものを、あとで子どもが亡くなった時に埋葬する棺として利用されたものと考えられています。
東奈良三丁目にある市立文化財資料館に展示しています。
石鏃(やじり)
耳原古墳
耳原古墳全景
三島地方で最も大きい南向きの横穴式石室をもつ円墳で、6世紀後半頃の古墳です。石室の中には、形の異なる石棺が2基置かれており、奥にあるのが家形組み合わせ式、入口のほうにあるのが家形くり抜き式といわれるものです。
今も帝人(株)大阪研究センタ−の敷地の中に残されています。
石室内部
所在地:
・耳原遺跡 耳原・南耳原一帯
・耳原古墳 耳原三丁目18−8の一部(会社の敷地内にあるので、入口の守衛室に申し出て許可をとって下さい)。
(阪急バス) 車作線で耳原下車、徒歩5分。(阪急電車茨木市駅より乗車が便利です。)
・茨木市立文化財資料館 阪急電鉄 南茨木駅下車 東へ徒歩10分。