ジュニアオリンピック出場に際して、

暖かいご声援ありがとうございました。

第36回ジュニアオリンピック陸上競技選手権RESULTS

         2005.10/28〜30 横浜国際総合競技場

○ Cクラス男子走り幅跳び 奥村成生 4M65(+0.5)

○ Bクラス女子100M 北村なつき 13“00(+0.3)

             <準決勝> 13“22(―2.0)

        ABC選抜女子400MR 大阪 50“38

             * 北村は大阪チームの第2走者で出場

<大会雑感>

     日本全国の中学生のトップアスリートが集うジュニアオリンピック陸上競技選手権は学年別の全国大会ともいえる大会で、来年度の全日中(全日本中学校陸上競技選手権)の前哨戦と位置づけられる。8年前までは、東京国立競技場で開催されていた大会で、文字どおり幾多のオリンピック選手を輩出している。会場となる横浜国際総合競技場(通称 日産スタジアム)は日本一の規模と収容数、そして最新の設備を誇る。ウオームアップ場となる補助競技場も含めてとにかくでかい。2002年日韓サッカーワールドカップの決勝のためにつくられた7万人収容の大スタジアム。もう2度と満員になることはないのではないかと思うと、まさに『平成のパルテノン神殿』。どの場所にいても、オーロラビジョンとは別にいたるところにモニターテレビが置いてあり、いつでもリプレイが見られる。まるで神話の中にいるようで、このような素晴らしい大会に東雲中の選手が出場できることに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

     大会初日。真っ青な青空が印象的な日本晴れである。日なたではTシャツでもいいくらいの陽気で絶好のコンディションである。1時開始のCクラス(中学1年生相当)男子走り幅跳び。奥村が出場する。奥村は体育大会の頃に痛めた右足の股関節の回復が思わしくなく、全力で走れない状態である。ぶっつけ本番で、しかも利き足とは逆の足で踏み切らせることになった。選手招集所の独特の雰囲気に早くも緊張モードに達していたはずだが、スタンドから見ると、実に落ち着いているように見えた。直前の公式練習も足をかばうような助走ではあったが、うまく体を動かしながら順番を待っている。不安な様子を少しも見せない。こういうところが、彼の持ち前の才能ではないか。

 この大会の出場を決めた時も、1年生とは思えない程の落ち着きを見せて、1回目から好記録の大ジャンプを見せて優勝した実績がある。彼のゼッケンナンバーがコールされ、幅跳びのピットに立つ。風を読み、手を上げて走り出す。やはり足をかばっている。走り幅跳びの選手は何歩目で利き足で踏切板を踏み切ることができるかを知っているのだが、このような走りでは足が合うはずがない。彼は自分の助走距離を微調整して踏み切り板の少し手前で踏み切った。予想していた以上に無難な跳躍だった。4
M64。自己記録に遠く及ばないが、記録を残したことに胸をなでおろした。3ペケ(3回ともファウルして記録なしに終わること)も覚悟していただけに上出来である。

 その後、2回目には記録を1センチ伸ばし4M65。この時はきれいに板の上で踏み切っていた。3回目もファウルせずに跳躍したが記録は伸びなかった。もう足の方は限界にきていたと思う。故障のことを考えれば大健闘の全国デビューではなかったか。この日は北村のリレーの調整練習も早く終わったので、4時前にはホテルに帰ることができた。その後、奥村は夕食に行く6時になってもロビーに降りてこなかったので心配した。部屋に戻ってベッドの上で爆睡したのだという。緊張から解き放たれてほっとしたのでしょう。13歳のやわらいだ笑顔で弁明をする奥村でした。

     大会2日目。雨で大荒れになるかもしれないという前日の天気予報がはずれて、雨が降り出したのは午後2時を過ぎてからだった。この日は朝5時30分に起床。7時30分からはサブトラックで大阪選抜のリレー練習をおこない、そのあとにレースに向けて本格的にアップを開始した。北村が走る組には12秒5台の好タイムを持つ選手がいることはわかっていたが、「スタートと加速局面がジャストミートすると、50M過ぎまで(北村が)トップを走るかもしれない。逆にスタートで出遅れることもある。どちらにせよ、あわてず、後半も自分の走りを心がけることだ」と言って選手招集所に送り出した。選手招集所は100Mスタート付近後方のマラソンゲートに設置されている。そこは多少薄暗いが、そこからかいま見えるフィールドとスタジアムの観客席はまばゆいばかりに光輝き、そして吸い込まれそうに巨大である。

 珍しく北村が緊張しているように見えた。10時10分。Bクラス女子100Mの予選2組に北村が登場。スタブロをセットして、スタート練習をする北村の姿が大型のオーロラビジョンに映し出される。「位置について」のコールがかかると競技場が静寂した。ピストルの閃光とともに8人のスプリンターが勢いよく飛び出す。北村が前傾姿勢から頭を起こした30M付近トップにおどりで
たことがわかった。そのまま60M付近までトップのまま疾走する。ゴール手前、わずかに北村が軸を揺らしはじめた時にアウトレーンの数人が逆転した。13秒00の記録で5着。6組走って各組3着までと、それ以外の記録上位者6名が準決勝進出になる。微妙な着順であったが、この組が強かったために、プラスで拾われ準決勝進出を決めた。

 準決勝は1時30分。ウオームアップ場では、後半の走りのイメージを良くするための部分練習を何本かさせて、招集所に送り出した。準決勝1組8レーン。レーン紹介の時に『8レーンは北村なつきさん、大阪、東雲中』のアナウンスと同時に緊張した面もちの北村の表情がアップで映し出された。ピストルが鳴り勢いよく飛び出したのだが、スタートして3歩目で出遅れているのがわかった。何とか後半持ちこたえるが13秒22の記録で7着でゴールした。後で聞くと自分でも出遅れていたのがよくわかり、自分の走りができなかったと言う。本当に100Mはむずかしい。どんな展開になっても(トップで加速しても、出遅れたとしても)、自分の走りに集中して寸分狂わず理想の走りを表現しなければならないからだ。でも、この大会で北村のトップスピードの走りは全国レベルのトップスプリンターにひけをとらないこと。このスピードに加えて、スタートで出遅れないこと、そして後半に伸びのある走りを身につけることが、来年の全日中の短距離のファイナリストになるための課題であることがはっきりした。

     大会3日目。5時に起床。5時30分にはホテル近くを北村と散歩した。まだ薄暗い新横浜のビジネス街には、同じような格好をした選手と顧問が行き交う。心配された雨はあがったが気温が低い。6時にバイキング形式の朝食を摂り、7時過ぎにホテルを後にした。9時30分開始のABC共通女子400MRに出場するためのアップ開始は7時30分過ぎ。このリレーは各都道府県の選抜でチームをつくり、しかも中学1年生、2年生、3年生からひとりずつ選びあとのひとりはどの学年から走ってもいいというるルールで競われる。(おおよそ、多くのチームは3年生が2名という構成となっている。)

 北村が2年生でありながら、バックストレートの直線を走りきる第二走者(チームでエース格の選手が起用されることが多い。)に抜擢されたのは、東雲中が大阪代表として夏の全国を経験していること、そして北村のリレーの時の走りは個人走の時とは人が変わったようなすばらしい走りをする特性があるからである。大阪チームは5組8レーンに登場。いつもと違う大阪のユニフォームを着た北村がレーンに歩み寄り足長をはかり、マークテープを貼る。そのあとブルーのラインに立って、20Mほどのダッシュを入れる。

 東雲中のリレーの時と同じようにして号砲を待つしぐさはいつもと変わりはなく、落ち着いているように見えた。大阪の第一走者は、何度も熾烈な戦いでしのぎをけずってきた金岡南中の3年生の泉選手。大会2日目にもAクラスの100Mを走っているが、その時に軽い肉離れを起こしていた。そのために、残念ながら第一曲走路で出遅れたまま北村にバトンが渡る。北村はいつものようにゴムまりがはじけるような走りでバックストレートを疾走する。そのあと、第3走者と第4走者の間のバトンパスで少しロスがあり、順位を挽回することなく大阪のアンカーがゴールした。50秒38のタイムには不満が残る。あっけなく予選敗退が決まった。

     そのあとは4日間行動を共にしてきた、茨木西の石田選手が出場するAクラス男子走り高跳びの応援をした。(彼は12位であった。)Aクラス男子3000Mは8分23秒の中学日本新記録。この走りのすごさに鳥肌が立った。15歳の記録としては、ワールドクラスの記録である。大会のファイナル種目の400MR決勝では、大阪の男子チームが見事に6位に入賞した。

     考えてみれば長い4日間でもあり、あっという間の短い4日間でもあったように思う。日常の学校生活とは別世界の4日間で、教室では学べないことをたくさん学ぶことができたはずである。ウオームアップ場で見る中学のトップアスリートの動きはとても素晴らしくかっこいい。単に記録がいいからだけではなく、みんな自分の可能性を信じている。ひとりひとりがいきいきと輝いているのだ。ひとつのことに全身全霊をかけてうちこむことのすばらしさがよくわかる。ひとつの夢を実現しようとひたむきにがんばる姿はとても美しい。そして、感動がある。ひとつの感動が次なる夢にチャレンジする起爆剤となって、さらに大きな夢に挑戦することができる。自分はとっくの昔に『夢見る頃』を過ぎてしまったけど、『夢見る頃』の中学生といっしょに『夢』を共有できることに心から感謝したい。

新幹線の改札を出る時には、北村も奥村もいくつもの荷物やみやげ袋をかかえて大変であった。でも2人が大阪に持ち帰ったものは、さらにでっかいものであったに違いないと確信している。

 

大会期間中は大変ご迷惑をおかけしました。これからも、陸上競技の指導を通して、陸上以外のこともたくさん教えて、心豊かな人間に育つように指導していきたいと思っています。このたびは、たくさんのご支援をいただきましてありがとうございました。深く感謝しています。今後ともよろしくお願い致します。

                     陸上競技部顧問一同