第15回全国中学校駅伝出場に際して、

多くのご声援・ご支援ありがとうございました。

 12月15日(土)、山口県セミナーパーク。朝から快晴と思いきや、急に空が暗くなって、小雨が降りだしまた晴れて、そして朝から氷雨が降るコンディション。前日のミーティングで綿密な打ち合わせをして、駅伝の正選手6人だけでなく、現地入りした選手全員が付き添いやタイム測定などを分担し、文字通り全員体制でのぞんだ今大会。

朝から会場には各代表を応援するたくさんの人がかけつけ、色とりどりののぼりや横断幕がコースを埋めつくしている。今から中学駅伝日本一を決めるのだという独特の緊張感に包まれ、初陣の東雲のメンバーに緊張感がないといえば嘘になる。各都道府県の代表校と1区の走者の名前が場内放送で知らされる。競技服装の上にベンチコートを着た選手が緊張の面持ちでスタートラインの位置を確認する。駅伝独特の緊張感がさらに倍増する。

 全国中学校駅伝は重ねて15回目を迎える。第1回目の大会のときに生まれた選手が、今の3年生になる計算である。全国中学駅伝の開催の気運はそのずっと前からあったが見送られていたのだ。日本陸連が中学駅伝を開催することに、「待った」をかけていたのです。日本一をめぐって、成長途上の中学生に硬い路面を走らせることに、大きな弊害があると指摘していたからだ。そこで、距離を3qまでに限定すること、ロードではなく芝生のクロスカントリーコースで実施することの2つの条件付きで、記念すべき第1回大会が1993年に開催されることになったのである。したがって、駅伝というよりクロスカントリーリレーというイメージになるのだ。

セミナーパークのコースは歴代の開催地の中でも一番アップダウンのきつい難コースである。最初からカーブを描きながらきつい下り、そのあと登ってそこが1q、すぐにカーブを曲がりながら下ってまたすぐに直角に曲がって長い坂道を登って中間点。ここまでの前半の走りがとてもむずかしい。下りを効率よく走りながら、しかも体力を温存して前半を走らなければならない。あせってしまってオーバーペースになると、後半の小刻みなアップダウンにも対応できず、最後は足が止まって失速してしまう魔物が棲むコースなのだ。
(右の写真は試走時のようす)


大阪や近畿の駅伝では1区の距離が5qくらいになるので、迷わず花の1区にはエースのHを起用するのだが、1〜6区間すべて各3qの全国駅伝はあえて2区に起用した。コース幅が狭く、その位置どりがむずかしいことや、先頭集団がけん制しあった場合にタイムロスが大きくなること。ここに来てめきめき力をつけてきて、ラストスパートにも定評があり、集団の中での駆け引きが上手な2年生エースのMを1区に起用したのだ。Mが30番くらいで帰ってきても、Hで大きく順位をあげて、はじめの6qで好位置につけて、あとは粘ってたすきをつなげるそんな駅伝を考えていたのだ。

 
 顧問のふだんのおこないが悪いらしく、前日の監督会議で引いたスタート位置の番号は44番。Mは3列目の外側から5番目のスタートとなった。

「スタート1分前!」の審判のコールの声が競技場に響き渡ると場内の興奮が最高潮になる。「10秒前!位置について!!」のコールで固唾を呑むことになるのだ。静寂を切り裂く号砲が鳴り響くと、大歓声のまっただ中を選ばれた48人の精鋭たち(47都道府県の代表と開催地枠1チーム)が勢いよく飛び出す。Mは「スタート時の転倒だけには気をつけろ。」という指示をよく守り、冷静に集団の外側から前の方に位置して集団の中ほどに移動したことが確認できた。競技場を出ると例の急激な坂道を駆け下りる。Mに声をかけると、こちらの方もコースを近回りして1.5km付近の坂道の脇に移動する。考えることはみんな同じで、このあたりは二重、三重の人垣になっていて、乱立する色とりどりののぼりが邪魔になって視界がさえぎられて少しいらついたりもした。やがて、大歓声が先頭集団をひきつれてやってきた。目の前を通過する選手の数を数えていく。「25、26、27、28番!」28番目あたりでMが通過した。今年の1区の選手は例年になく強豪ぞろいなのでここまでは十分想定内であった。「Mは30番くらいで帰ってくるから、Hはひとりひとり前にいる選手をひろっていくイメージで走れ!」と事前に言っていた。そのあとは小高い丘のところから、競技場の中継地点付近に目をやる。トップの選手が帰ってきて、8番目くらいからは数珠つなぎとなる。結局、Mは前半に無理してついていったので後半に足にきたのか、苦しみながら9分52秒で37番目にたすきリレーとなった。

 そのあとはスタートして300mくらいのところで、Hの走りを目の前で見た。軽快なピッチで次々と前のランナーを抜かしていった。いい走りである。ただ直感的に「速すぎるのではないか!?」と思った。次に例の1.5km地点の坂道のところに出る。この時点で確か30番をわずかに切るくらいの順位で通過したと記憶しているが、その時の走りに軽快さはなかった。オーバーペースの直感が当たったことになる。小高い丘の斜面で座り込んでしまった。




 いろんな思いが頭の中をよぎり、頭の中が混乱しているのだ。すぐに後続の選手のところに飛んでいって、アドバイスを送りたい衝動にかられたが、全国大会は選手とそうでない選手の接触にきびしい規制があり、いくら監督のIDカードを持っていても、レースが始まってしまえば、召集所もアップ場にも入ることは許されない。選手に何もしてやることのできない無力感。なぜ、事前にもっと指導を徹底できなかったのか。自分自身、指導者としての甘さを思い知らされた。結局7人抜きはしたものの、区間23位の9分41秒という彼にとっては平凡な記録で30番目にたすきを3区のNAにリレーした。

NAも軽快なピッチで前を追うが、こうなると駅伝でもっともよくある失敗のスパイラルにはまりこんでしまうことになる。思ったとおりの順位で前走者が帰ってこないと、どうしても自分で順位をあげようとして知らず知らずのうちにオーバーペースになり、最後は失速してしまう悪循環になるのだ。前々日の夜のミーティングでは、昨年のこの大会の区間記録の資料を見ながら「悪くても10分以内。最低でも10分ヒト桁以内の記録が必要。」と言っていた。

NAは3区で大阪中学校駅伝のトップに躍り出た殊勲のランナーであり、安定感もある。その彼にも魔物は容赦しない。後半の走りが思うように伸びず、10分07秒の区間38位の記録で総合順位を35位に落とした。

続く4区は2年生のI。さすがは全国駅伝で、この時点でも30位まで14秒差。20位まで38秒差の僅差であるが、後ろも同じ状態である。このきびしい状況を切り拓くために、果敢にIも大きな走りで最初の下り坂を駆け下りる。祈るように彼の後姿を見送る。Iは何とか最低限のタイムに近い、区間38位の10分10秒の記録で順位を2つ落とす37位で5区のNIへたすきをたくす。

NIは今年はいろいろな意味で苦労した選手。それを乗り越えてきた強さを糧に、1.5kmの地点でも必死に前を見て追いかける。競技場に帰ってきた時は区間33位の10分21秒で順位をひとつ下げてアンカーのKへ。今度は最初の下り坂の下まで移動してうなだれているHといっしょにKに声をかけた。飛ぶように駆け下りてきたKはあっという間に視界から消え去った。

場内の放送が優勝争いをしているチームの実況をするのが耳に入った。たくさんののぼりが競技場の方へ次々と移動していく。1.5km地点の少し視界の開けたところで、最後の檄(げき)をKにとばす。そのあとは小高い丘の上で競技場に次々と帰ってくるランナーを目で追った。Kが帰ってきたのは40番目。ラストの直線で39番目のチームにスパートをかけて急接近。フィニッシュライン手前でほんのわずかに胸が出て、同タイム着差なしで先着。30番台を死守する39位でゴールした。

 

 戦い終わって、走り終えた選手が首をうなだれて帰ってきた。Hはシートにうずくまったまま動かない。「すぐにオープンレースがある。選手もコースに散らばって応援しなさい。」全国中学校駅伝では、補欠にエントリーされた選手が、本番と同じ3qのコースを使ってオープンレースが実施されるのだ。HIOTIOTAの3人は2年生。沿道で目いっぱい応援した。オープンレース出場者144人の中で、50位OKA10分31秒、65位HI10分38秒、67位OTI10分38秒という結果であった。くたくたになってベンチに帰ってきたHIが「来年も(ここに来て)がんばろうな。」と声をかけた。OKAOTIも力強くうなずいた。

 

 まったく全国の強豪と戦うことなく、敗れてしまった。完敗である。自分自身3度目の全国駅伝の出場(03年27位、04年16位)であるので、少し歯車が狂えば簡単にこのような順位になることはわかっていたつもりだが、あらためて駅伝の恐さを思い知らされた。このままでは終われない。この借りを返すには、全国駅伝の舞台でしか返せない。簡単ではないが、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の思いでこれからの1年間中長距離部員と精進したい。相当な覚悟と決意を持って、さらに自分たちがレベルアップできるようにしなければならない。2連覇を目指して、もう一度この舞台に帰ってこなければ、自分たちの夢は輝かないのだ。

 

 出発の日。16日(木)の新大阪駅のコンコースで、Hが「今頃、みんな授業を受けているのか。残念やなぁ。大切な授業を受けられないなんて。」と、言いながら不謹慎な笑み?を浮かべる。「それにしても、ほんまに俺たち勝ってよかったよなぁ。」としみじみ言った。男子中長パートは、本当に仲がいい。新幹線の座席割りや宿舎の部屋割りも、全員が輪になって指を出しながら決めている。

 学年を超えてどんな組み合わせになっても、同じように付き合うことができるのだ。新幹線の車内でも駅弁のおかずを交換したりするようすはとても微笑ましかった。宿舎の食事や風呂の時も万事同じで、時間をよく守り節度ある3日間であった。やはり、苦しいことを目標を持ってがんばっているから、理屈抜きで仲良くなるのだと思う。駅伝というひとつの競技を通して、人間的にも大きく成長しているのがよくわかる。今回の遠征でも、教室では学べなかった多くのことを学んでくれたのではないかと思っている。

 

 このたびの全国中学校駅伝の出場に際して、多くの方々から暖かなご声援やご支援をいただきました。また、保護者の皆様にも大変お世話になりました。思うような結果は出ませんでしたが、このような夢の大舞台に立てたのも多くの皆様のおかげと深く感謝しております。これからも大きな夢に向かって、生徒と泣き笑いをともにしながら、多くの夢を輝かすことができるようにがんばりたいと思います。よろしくお願いいたします。

                     陸上競技部顧問一同