第40回ジュニアオリンピック陸上競技選手権

(10/23〜25 横浜日産スタジアム)RESULTS

Cクラス100mJH 予選2組 4着 岡田 萌 17秒63(−1.3)

 おかげさまで今年も8万人の収容数を誇る日本一の競技場にやってくることができました。今年から大阪中体連陸上競技部の強化部としての仕事もあり、21日(水)の夜11時すぎに茨木インター近くで乗車。5名のスタッフといっしょに大きなワゴン車に乗って深夜の移動となりました。新名神高速道路から東名高速道路を突っ走り早朝の5時すぎに横浜に到着。ファミリーレストランに入って休息と朝食をとる。睡眠不足で眠気はあるのだが、これから迎える日本一を決める大会に、期待と不安が入り乱れて興奮しているのか仮眠もままならない。

 10時前に競技場に移動。車からたくさんの荷物(シート・毛布・クーラーボックス・ベンチウォーマー・マッサージ用のベッド・のぼり・テーブル・・・etc。)を何度も往復して競技場のゲート前に運ぶ。開門すると足早に移動して、いつも大阪チームが陣取る100mゴール付近のスタンド上の場所を何とか確保することができたのだ。午後からは大阪選抜の女子リレーチームの調整練習を見る。9月15日(日)の試合で新しいチームが結成されて以来、何度か集まって日本一を目指して練習してきたのだ。18日(日)も万博記念競技場で練習したのだが、その時に「(体調を崩すことなく)元気な顔で横浜で会おう!」と言っていただけに、元気な4人の表情を見てとても嬉しかった。

 大会初日。新型インフルエンザの影響で、欠場する選手が目立った。今年になって日本中学新を出したハードルの選手も、横浜入りしてから高熱を出しまさかの欠場となった。他にも有力選手が何人か欠場することになり、複雑な心境になった。

 昼前には岡田萌が到着。岡田の元気そうな顔を見て安堵した。プログラムを見ると、岡田のベスト記録は15秒42とランキング2番目の記録で、ランキング1番の選手と100分の16秒差である。
 
 9月13日(日)にジュニアオリンピック出場を決めた時点では日本一を狙える位置にいることはわかっていたが、そこから順風満帆とはいかなかった。9月28日(月)の練習中にバランスを崩して右足首を捻挫。一番追いこんで練習したいときだけに、予定が大きく狂ってしまった。10月9日(金)くらいから何とか練習を再開することができたのだが今度は12日(月)の夜から発熱。新型インフルエンザにかかってしまったのだ。17日(土)の練習に参加したのだが、体重も落ちて鼻もすっきりしない状態で大きなダメージがあった。練習を再開してもすぐに筋肉痛になる上に、体力が落ちてしまって思うようなハードリングができないままに現地入りすることになったのだ。
 
 「金曜日に試合だったら、間に合わないかも知れない。日曜日が試合だったら何とかなるはずだ。」と、岡田に声をかけるのがやっとの状態でした。この日は本人の体調確認と競技場の雰囲気に慣れさせる目的で、1時間程度の調整練習で切り上げたのです。

 
 大会2日目。午後にはリレーチームの練習を見なければならないので、午前中に岡田の調整練習を見ることにした。岡田は天性とも思えるしなやかなハードリングができる選手ではあるが、1ヶ月ほどハードルの実戦から遠ざかっていることが懸念材料となっていた。

 インフルエンザが治って、6日前も万博競技場で練習したものの、4台目のハードルを越えるのが精一杯で動きもいつものしなやかさがない。このときもハードルのインターバル(ハードルとハードルの間の距離のこと。ジュニアハードルでは8mになる。)を15cmほどつめて練習するのだが、2台のアプローチ練習でも1台目を越えてから3歩で刻めずに2台目の手前で立ち止まる状況にもなった。

 いくつかアドバイスするうちに何とか解消。いいイメージで練習が終わるように心がけた。午後から冷たい雨が降り出した。明日のレースコンディションが気になった。


 大会3日目。自分は朝5時に起床して、7時にはリレーメンバーを連れてウォーミングアップ場に到着。岡田はまったく別行動で坂田先生に連れられて、9時前に競技場に着くことになっていた。7時過ぎからまた冷たい雨が降り出した。気温は14度。女子リレーチームを選手招集場に送り出してベンチに戻ると、すでに岡田は大阪のベンチコートを着ていてストレッチを繰り返していた。

 昨日までの笑顔はなく、さすがに大一番を控えて緊張しているのがすぐにわかった。アップのやり方はすでに指示しているものの、彼女の様子を直接見ることはできないが仕方ない。「予選のレースでハードルの感覚が戻れば(決勝まで)何とかなるはずだ。」と、願いながら坂田先生に連れられてウォーミングアップ場に向かう岡田の背中を見送った。


 10時50分Cクラス女子100mJH予選2組。雨は小止みになってほとんど気にならなくなったが寒さが気になった。審判の指示で岡田がトラックに現れた。ていねいにスタブロをセットして、アプローチ練習を繰り返す。
 
 やがてファンファーレが鳴って、「位置について」のスターターの低い声。固唾を呑んで見守るとピストルが立て続けに鳴った。他の選手がフライングをしたのである。次にフライングすると誰でも失格になる。いやな展開であるが「フライングがあっても慌てなくていいぞ。スタートの反応が出遅れても気にしないで、1台目のハードルの板の上をスピードに乗って飛び越えていくことを心がけるのだ。」と、すでに彼女に言い渡してある。
 
 2度目の「位置について」の声。8人の選手が慎重にクラウチングスタートの姿勢に入る。しばらくの静寂の後に「立って!」の合図。何と岡田のセットが遅いと出発係の審判に直接注意を受けることになったのだ。岡田は自分の集中力を高めるために、スタブロのきめ細かなセットの仕方が儀式のように決まっている。今まで慣れ親しんだやり方に時間がかかりすぎであると、この土壇場で否定されたのだ。彼女の心中を察すると胸が締めつけられる思いになった。
 
 運命のピストルが鳴った。何とかアプローチは無難にまとめたがいつもの加速がない。慎重にハードルを越えるために少しずつ余分に高くなる。中間付近で2人が前に先行している。3番手。こんなはずではないという思いがある分、どんどんリズムが狂い、なんと9台目から10台目までは5歩になる。初めて見る光景で見ているこちらの方も息が止まった。その5歩のためにさらにひとり抜かれて4着でゴール。スピードを緩めながら両手で顔を覆った。号泣である。その光景を見てすぐにベンチを離れた。女子400mRの準決勝のアップに向かわなければならなかったのである。


 およそ1時間30分後、大阪のベンチにやっと帰ることができた。「あのレースのあとなかなか帰ってこないので、美調(みのり)に迎えに行かせたくらいです。ベンチに帰ってからもずっと泣き続けていましたよ。」と坂田先生。岡田を呼んで2人でミーティング。レースを振り返った。「緊張したうえに、前に2人いたのが気になって、自分のレースができませんでした。」「弱気になりすぎたことで、自分のレーンのハードルに集中できなかったことが一番の敗因だ。緊張して平常心を失い自滅するパターンになってしまったな。」何度か繰り返すうちに、枯れているはずの涙がまた岡田の頬をつたう。

 3時25分。華やかなBGMが流れCクラス100mJHの表彰式が始まった。ジュニアオリンピックの表彰式はいつも感動的でこのBGMを聴いただけでぐっときてしまうのだが、今回だけは悔しい思いが複雑に入りこんだ。

 「1年後、2年後には絶対にこの3人に勝ってやると思い、3人の顔と名前と学校名をしっかり心に刻みこんでおいで。」と、岡田をスタンド最前列に送りこんだ。「神様は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉がある。「あのときの失敗があったからこそ、自分はここまで大きくなった。」と言える日が近い将来必ずやって来ると強く信じている。彼女の競技生活は今始まったばかり。彼女の持ち前の才能を磨くたゆまぬ努力と、そして陸上を愛する多くの部員たちの汗と笑顔があれば、陸上の神様はきっと大きな贈り物を届けてくれるはずだ。

 今回、自分があずかった大阪選抜女子リレーチーム。2年前は東雲から2人選ばれる幸運に恵まれ大阪中学新記録で日本一に。昨年も東雲から1人選ばれ大阪中学記録を更新して5位入賞。今回は自分の学校の選手はいないが、決勝に残って上位入賞を目指すことが目標であった。結果は準決勝で48秒71.記録は全体8番目であったが、3組2着プラス2チームが決勝進出の条件のために1組2着のチームの記録を上回りながら、何と100分の1秒差で準決勝敗退となった。

 前日のレースで3走の選手が100mのゴール手前で転倒。役員に運ばれて医務室に向かうアクシデントがあった。足の打撲と首筋を痛めて当日の朝も満足なアップができない状況であったが、大阪代表リレーチームの伝統と代表選手のプライド、そして強固なチームワークがこのアクシデントを乗り越えさせたのではないか。そんな状況の中、大一番で堂々たる戦いぶりでした。

 大阪のベンチに帰ってきた4人は悔しさで涙を流していたが、そのあとすぐに気持ちを切りかえて決勝進出を決めた大阪選抜男子リレーチームの応援に徹していた。決勝のスタートのときは大阪選手団の大きな声がスタジアム中に響き渡っていた。すでに競技を終えた選手、この日の朝一番の新幹線で岡田の応援に駆けつけた美調や浅野もメガホンを持って心をひとつにして組織的な応援を繰り広げた。

 結果は5位。ベンチに帰ってきた男子も表彰台を狙っていただけにぼう然としていた。涙で瞳を潤ませながら、静かに結果を受け止めている姿に目頭が熱くなった。やがて、まるでスポットライトを浴びているかのような華やかなリレーの表彰式が始まった。

 一方で対照的に薄暗いベンチではあるが、大阪男女リレーチームのミーティングにも感動的なドラマがあった。ひとりひとりが「自分らしく」と書かれたはちまきを監督に返却。目にいっぱいの涙をためている選手にひとことずつコメントをしながら握手をしました。このはちまきは来年、再来年と受け継がれていく、そして頂点を目指す思いも受け継がれていく。大阪全域から集められた選手にいつしか絆ができて本物のチームになった。そして選手団も・・・。今回2走をつとめたエースT中のA選手が、「ごめんね。決勝に進出できなくて・・・。」と、惜しくも代表漏れになっても応援に駆けつけたI中のS選手と抱き合いながら泣いた。健闘を讃えるS選手。1本のバトンを通して、みんなの心がひとつになっていく。リレー競技って素晴らしい。そして陸上競技がますます好きになった。


 大阪に向けて深夜の高速道路を突っ走る。時折り目が覚めて窓の向こうに 目をやった。この4日間のできごとを振り返りながら、東雲の選手にこの感動の舞台をひとりでも多く経験させたいと思った。まずはひとりひとりの部員の夢の輪郭をはっきりさせること。すべてはそこから始まるのだ。